| 大正5年 | 蛭子味噌創業 安藤家は安藤米吉の代まで、頴田のこの地で、ハゼの実で『和ろうそく』をつくっていた。 やがて西洋ろうそくが出始め、また筑豊に炭鉱が栄えはじめた。 この様な背景から、安藤徳茂(安藤米吉の長男)は、橋本三郎氏、貝嶋十九生氏とともに、 ろうそくを作っていた広い工場を利用して『味噌、醤油、酢』の醸造を始める。 (橋本氏が柳川で身につけた味噌作りを貝嶋氏、安藤徳茂に教えた) |
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| 大正10年 | 初代安藤徳茂が『蛭子屋合名会社』を設立(橋本氏、貝嶋氏は撤退する) |
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| 昭和22年 | 醤油、酢を小竹の野見山醤油さん、二瀬の花村醤油さんと 合同で作り始めるが2年後に解散する。 (工場は野見山醤油さんのところに) |
炭鉱がさかえていた当時、三井、三菱、住友、明治鉱業などの炭鉱の購買課に20貫(75kg)樽の味噌を4トン車で配達していた。
炭鉱の閉山と共に、大手メーカーがスーパーへ進出するなど、小さなメーカーが打撃を受け始める。
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| 昭和24年 | 味噌醸造の専業になる。 | |
| 昭和27年 | 安藤徳茂、54歳で死去。 徳茂の長男安藤堯が2代目社長になる。 また、安藤徳茂の弟安藤俊郎が独立して田川で味噌屋を 始める。 ![]() 昭和30年頃、日産のダットサンに40kg桶入りの味噌を 積み込んでいるところ |
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| 昭和30年 | 炭鉱が次々と閉鎖され、また同時にスーパーが でき始める。 大手の醤油メーカーが味噌を作り始め、袋入りの 味噌を売り始める。 |
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| 昭和34年 | エビス味噌、スーパーに進出 | |
| 昭和50年 | 自動製麹機などの機械を導入した現在の工場ができる。 |
| 平成14年 | 事務所の一部を改装して量り売りの味噌ショップをつくる。 |
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| 平成17年 | 安藤茂友が3代目社長になる。 |
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| 平成18年 | 量り売りの味噌ショップに大豆関連商品を導入し、お客様に『安心、安全、健康』をテーマに 心も体も豊になれる日本の食卓を提供できるお店として新たにオープンする。 |
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